『傷跡』|【名作長編 祟られ屋シリーズ】

『傷跡』|【名作長編 祟られ屋シリーズ】洒落怖・怖い話・都市伝説 祟られ屋シリーズ

助け舟か、ユファが李先輩に食って掛かった。
「お兄ちゃん、いい加減にしてよ!」
「お前は少し黙っていろ!」
そう言われると、ユファは膨れっ面をしながらも黙った。
「ヤリたい盛りのお前にこんな事を言うのは酷かもしれないけれど、半端な真似は許さないよ?
どうしてもヤリたいと言うなら無理には止めないが、俺とタイマンを張る覚悟はしてくれ。
そう言う事は自分で自分のケツが拭けるようになってから、自分の力で女と餓鬼を食わせられるようになってからにしておけ」
「……押忍」
そして、更に厳しい顔つきでユファに向かって言った。
「高校生になった妹の恋愛にまでクチを挟む気はないが、出来ました堕胎しますは絶対に許さないからな?
どんな理由があっても、人殺しは許さない。誰が相手でも産ませてキッチリ責任を取らせるからそう思え」
「判っているわよ!」
「判っていれば、それでいい。健全で高校生らしい男女交際に励んでくれ。
おい、XX、何だかんだ言っても、コイツの付き合う相手がお前で安心しているんだ。
ワガママで気の強い女だけど、宜しく頼むよ」
そう言うと、やっと李先輩は笑顔を見せた。
どこまでも兄馬鹿な人だな、と、緊張の解けた俺は微笑ましく思った。
俺は、そんな先輩を尊敬していたし、堪らなく好きだった。

高校生活と共に俺達の交際も本格的にスタートした。
だが、初めから何かがおかしかった。
周りの連中に言われるまでもなく、人目を惹く『華』のあったユファと俺が『釣り合っていない』ことは自覚していた。
俺はユファに夢中だったが、同時に、彼女と会う毎に不安が増していった。
彼女に嫌われていると言う事はなかった。それは判った。
だが、愛されている自信も無かった。
少なくとも俺が好きだと想っているほどには、彼女は俺の事が好きではなかったのだろう。
逢瀬を重ねるほどに、俺は自信を喪失していった。
やがて、16歳の誕生日を迎えた俺は、親や学校に隠れて中免を取った。
バイト代や預金をはたいて中古のバイクを手に入れてからは、バイクに嵌まり込んでいった。
まだポケベルさえ普及しておらず、携帯電話など無かった頃なので、連絡は家の電話で取っていた。
だが、姉と妹、特に妹が、何故かユファを良く思っていなかったらしく、俺が電話したり、ユファから電話が来ると露骨に機嫌が悪くなった。
放課後の俺は、ガス代やタイヤ代稼ぎのバイトに明け暮れ、膝に潰した空き缶をガムテで貼り付け、夜な夜な峠で膝摺り修行に邁進した。
ユファの方も、急に経営が傾き出し、従業員を解雇した実家の焼肉店の手伝いで忙しそうだった。
通っている学校も違っていたので、俺達の逢う頻度はどんどん下がって行った。
電話も、姉や妹への引け目から余りしなくなっていたので、話す機会も少なくなっていた。
そして、決定的だったのは高校2年生の時のクリスマスだった。
先輩の警告を破って、半分賭けのつもりでユファに迫った俺は、見事に彼女に拒絶された。
やがて3年生になり、大学受験の準備に入った俺は出遅れを取り戻すために、連日、選択の補習授業に出るようになった。
ユファとは公衆電話から電話を掛けてたまに話はしたが、殆ど逢う事はなかった。
次に逢う時には別れ話を切り出されそうで怖かったのだ。

俺にとって、バイクも受験勉強も、ユファを失う恐怖から目を逸らすための逃避行動だったように思う。
やがて年末となり、大学受験の本番が目の前に迫っていた。
クリスマスもユファとは会っていなかった。
冬休みに入っていたが、自習室として開放されていた学校の図書室で閉室時間まで勉強していた俺は、帰り道で5・6人の男達に囲まれた。
男達は朝鮮高校の制服を着ていた。
俺は朝鮮高校に何人か知り合いもいたし、特に彼らとトラブルを起こした覚えも無かった。
「H高のXXだな?悪いが、顔を貸してもらえるか?」
駅は目の前だ。リーダー格のコイツをブチのめして、ダッシュで改札に飛び込めば逃げ切れるか?
……いや、無理だろう。
こういった事に関しては彼らに抜かりはない。
改札前やホームに人を貼り付けているはずだ。
誰の命令かは知らないが、彼らが失敗した時に『先輩』から加えられる『ヤキ』は苛烈を極めるのだ。
恐怖に縛られた彼らから逃げ遂せるのは不可能だろう。
俺は、「わかった」と言って、彼らと共に移動した。

連れて行かれた先には意外な人物が待ち構えていた。
李先輩だった。
李先輩は鬼の形相だった。
「オ、押忍!お久しぶりです」
「ああ。ところでお前、以前、俺と交わした約束は覚えているな?」
「押忍」
「ならば準備しろ。タイマンだ。死ぬ気で掛かって来い。殺す気で相手をしてやる」
「嫌です」
「何だと?今更逃げる気か?」
「いいえ。でも、俺には先輩が何を言っているか判りません」
「とぼけるつもりか?ユファのヤツの様子がおかしいとオモニから相談されて、まさかと思って病院に連れて行ったら、本当に、まさかだったよ。
半端な真似は許さないと言ってあったよな?」
まさか……。俺はショックから立って居られなくなり、その場に座り込んだ。
そして、精一杯に強がって言った。
「煮るなと焼くなと好きにして下さい。でも、先輩とタイマンは張れません。
俺はユファとは何もしていません!」
俺はこの時、泣いていたのだと思う。
李先輩は俺を抱き締めて言った。
「本当に済まなかったな。お前は嘘を言っていない。俺には判っている」

「XXはこう言ってるぞ!お前の本当の相手は誰なんだ?」
朝高生の男2人に脇を抱えられたユファが俺と李先輩の前に引き出されて来た。
「嘘よ。相手はXXよ。他に有り得ないでしょ!XXもそう言ってよ!」
……誰だ、この女?
ユファに良く似た姿をしているが、他人の空似に違いない。
この女はユファじゃない。
堪らなく好きだった、俺のユファじゃない!
他人だ。ユファに良く似た他人だ。でなければ、悪い夢を見ているんだ!
「いい加減にしないか!」
李先輩はユファを平手で叩いた。
兄馬鹿で、幼い頃からユファを溺愛していた先輩が、妹に手を上げたのは初めての事だったのだろう。
ユファは一瞬、何が起こったのか理解できなかったようだ。
暫くきょとんとしていたかと思うと、やがて大声で泣き始めた。
李先輩は朝高生の一人に朝鮮語で何かを命令した。
「イエー!(はい)」と答えたその男は何処かに行った。

何処か近くに待機していたのか、10分ほどすると車が1台入ってきた。
車の後部座席から、見るからに柄の悪そうな男2人に脇を抱えられた、20代後半か30代前半くらいの男が引き出されてきた。
運転席からは男達の兄貴分だろうか?
見るからに貫禄のあるスーツ姿の男が降りてきた。
李先輩はスーツ姿の男に深々と頭を下げた。
引き出されてきた男を見たユファは半狂乱になって叫んだ。
「違う、その人じゃないの!XXなのよ、信じてよ!」
俺は、もう、全てがどうでも良くなっていた。
李先輩は酷く冷たい声色でユファに言った。
「いい加減にしろ。
男女の恋愛沙汰だ。別れる別れないとか、他に好きな男が出来るとかは良くあることだ。
そんな事はどうでもいい。それはお前とXXの問題だ。
だが、お前のやっている事は何だ?
お前のやっている事は余りに誠意と言うものが無いじゃないか!」

李先輩は、ユファの相手の男に歩み寄った。
「お前、人の妹に、未成年に手を出しやがって……。責任は取ってもらうからな?」
更にユファに向かって言った。
「出来ました、堕胎しますは許さない。誰が相手でも産ませるといった事は覚えているな?
どんな形であれ、人殺しは許さない。自分の行動の責任は自分で取るんだ。子供は産んでしっかり育てろ」
「ふざけるな、冗談じゃない!」相手の男が悲鳴のように叫んだ。
「俺には妻も子供も居るんだ。そんなことをされたら身の破滅だ」
「なんだと?それじゃあ、妻子持ちが高校生の餓鬼を騙して弄んだというのか?
俺の妹に、初めから捨てるつもりで手を出したのか?」
「あ、遊びだったんだ。軽い気持ちで、こんな事になるとは思っていなかったんだ!」
……この馬鹿!
この場に居る誰もが緊張した。
これから、この場所で殺人が行われる。
だが、李先輩は冷静だった。

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